名古屋高等裁判所 昭和45年(行コ)8号 判決 1971年10月28日
控訴人(原告) 大森敏直
被控訴人(被告) 名古屋中村税務署長
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人の昭和四二年分所得税について、被控訴人が昭和四三年九月三〇日付でした更正処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実および法律上の主張並びに証拠関係は、左記のほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一、原判決事実摘示欄の訂正
原判決三枚目表五行目に「一〇月一九日」とあるを「一〇月三〇日」と訂正し、同三枚目裏六行目に「算入すべき金額」とある次に「は………その年において収入すべき金額」を、同六枚目表二行目に「右土地、建物」とある次に「の譲渡」をそれぞれ挿入し、同七枚目表三行目に「調停が成立」とあるを「調停の成立」と訂正し、同表四、五行目に「(但し昭和四三年一〇月一九日とあるは昭和四三年一〇月三〇日である)」とある部分を削除し、同表九行目に「支払」とあるを「支配」と訂正する。
二、控訴代理人の陳述
(一) 原判決は控訴人と訴外恭の離婚に伴い土地、建物を控訴人から恭に譲渡したのは、乙第一号証の調停調書記載のとおり慰藉料支払の趣旨であつたと認定したが、これは事実誤認である。離婚に伴う金銭その他の財産の授受が行われた場合に、それが慰藉料か扶養料かもしくは財産分与の趣旨であるかは、単に調停調書の字句によつて判断すべきものではなく、その事案の解決にあたり当事者の真意がどこにあつたか、その当事者の婚姻歴、離婚原因等を綜合的に勘案して財産分与の趣旨が含まれているか否かを判断すべきものである。
控訴人は訴外恭と離婚するに際して多額の現金を支払い、子の養育費の支払を約したうえで、本件土地建物を譲渡し、訴外恭はこれによつて一切を解決し、それ以外には何らの請求をしないことに同意したのであるから、右金銭、財産の譲渡には財産分与を含むものと解するのが相当である。前記乙第一号証の文言を慰藉料としたのは、財産分与とすれば譲受人たる訴外恭に贈与税の課税がされるかも知れないが、慰藉料名義であればその虞れがないという誤解に基づくものであつて、当事者の真意は財産分与の趣旨であつた。而して財産分与を原因とする資産の譲渡が譲渡人につき譲渡所得を生じないことは控訴人が原審ですでに主張したとおりである。
(二) 被控訴人主張の異議申立および審査請求の書類は控訴人の委任を受けた税理士岩田鉱一が作成したものであるが、同税理士は調停調書において本件土地建物の譲渡が「慰藉料」の支払としてなされると記載されている以上、税務の関係においても「慰藉料の支払」以外のものであると主張することは許されないと即断したこと、および現実的に対価を伴わない資産の譲渡は譲渡所得の課税原因とはならないと解する余地があり、少くとも贈与に類するものとして目的財産の「相続財産評価基準」による評価額をもつて時価とする課税に訂正(減額更正)をして貰う余地があるものと考え、その点に力点をおいて前記不服申立の理由としたのである。
(三) 課税要件を構成する事実の認定にあたつては、納税義務者およびその相手方が採用した契約の方式或は当事者において付された名称等の形式に基づいてではなく、その法的実態を正確に把握すべきである。この要請がいわゆる実質課税の原則であり、それがまた負担の公平を確保する所以である。
三、被控訴代理人の陳述
(一) 本件土地建物の譲渡は、(1)控訴人は被控訴人の本件更正処分に対する所得税の異議申立書(乙第二号証)および名古屋国税局長に対する所得税の審査請求書(乙第三号証)において一貫して本件土地建物の譲渡は慰藉料によるものである旨を申立てていること(2)仮に本件離婚等調停において離婚当事者間で問題解決のため財産分与の趣旨を含めて話合がなされたとしても、それは単なる歴史的経過であつて、結論としては結局家庭裁判所において慰藉料として協議がととのい調停調書にその旨記載されたことからして当事者の真意は慰藉料に基づくものであること明白である。本件課税処分後において調停成立前の話合の歴史的事情のみをとらえ最終的に協議確定した内容を無視して財産分与であると主張することは失当である。
(二) 本件土地建物の譲渡は所得税法第三三条第一項に規定する「資産の譲渡」に該当する。すなわち本件土地建物を慰藉料(精神的損害に対する賠償)として金銭に代えて譲渡したことは、その譲渡時における当該土地建物の価額に相当する額の弁済があつたことになり、このことは控訴人が当該土地建物を他に処分してこれが代価を訴外恭に与えるに等しいものであつて、所得税法第三三条第一項に規定する資産の譲渡に該当するものである。
仮に本件土地建物の譲渡が控訴人主張の如く財産分与であるとしても、それは婚姻中に抽象的に存在する財産分与義務という潜在的債務が離婚による調停によつて確定債務として顕在化され財産分与を履行することによつて右確定債務が消滅することになり、若し右履行がなされない場合は財産分与を受ける者の地位において財産分与に代る損害賠償を請求することになるのであり、その請求の対象となる金銭は調停時における当該物件の価額相当額とされることを考えれば、右財産分与も確定債務を消滅せしめる効果を有する点からみて、所得税法第三三条第一項に規定する資産の譲渡に変りはない。
四、証拠関係<省略>
理由
一、控訴人主張の請求原因(一)、(二)、(三)および(五)の各事実並びに別紙目録記載の本件不動産は、控訴人と訴外大森(現枡岡)恭間の名古屋家庭裁判所昭和四一年(家イ)第九八三号離婚等調停事件につき昭和四二年五月一〇日成立した調停の結果控訴人から右訴外恭に譲渡したものであることはいずれも本件当事者間に争いがない。
二、控訴人は右不動産の譲渡は離婚に伴う財産分与として譲渡したものであると主張し、被控訴人は慰藉料として譲渡したものであると主張するので、先ずこの点につき考えてみる。
成立に争のない乙第一号証によれば、本件離婚等調停調書には、(一)控訴人と訴外恭間の長女由香子(昭和二九年二月五日生)の親権者を恭と定め、同人において監護養育すること(二)控訴人は恭に対し本件離婚に基づく慰藉料として本件不動産と名古屋七五一局一八二三番の電話加入権を譲渡し、かつ現金一四五〇万円を支払うこととし、その履行方法は本件不動産については抵当権を抹消のうえ昭和四二年五月二〇日限り所有権移転登記手続をすること、現金一四五〇万円については内金二五〇万円は調停成立の日に授受を了し、残金一二〇〇万円は昭和四二年五月から昭和五二年四月まで毎月金一〇万円を各月の末日限り支払うこと、右の電話加入権については速かに名義変更手続をすること(三)控訴人は恭に対し長女由香子の養育料として昭和四二年五月から昭和五二年四月まで毎月金三万円を各月の末日限り支払う旨記載されているから、右調停条項の文言からすれば、右調停における本件不動産の譲渡と現金一四五〇万円の支払は慰藉料として履行されるものと見ることができる。しかし当審証人野田底司の証言と原審での控訴人本人の供述並びに弁論の全趣旨を総合すれば、昭和二五、六年頃当時名古屋大学医学部の助手であつた控訴人は恭と婚姻し昭和二九年二月五日長女由香子を儲けたこと、控訴人は昭和三二年五月豊田ビル内に診療所を開業し、医療設備費として約一〇〇〇万円を要したが、右費用はすべて控訴人が支払し、恭又はその親族から援助を受けていないこと、本件不動産(建坪のうち三七、三九平方米は昭和三五年一二月二〇日増築)は控訴人が昭和二九年五月三一日名古屋市から分譲住宅として買受け、土地については同年八月一六日、建物については同年九月八日それぞれ所有権移転登記を了したもので、いずれも控訴人の特有財産であつたこと(本件不動産は右の日控訴人が名古屋市から買受けたもので控訴人の特有財産であつたことは当事者間に争いがない)、控訴人は昭和三九年頃から恭と別居し、恭は由香子と共に本件建物に居住し、控訴人は名和町の住宅(この住宅は控訴人が住宅公団から分譲住宅として金四〇〇万円で買受けたもの)に居住していたこと、昭和四二年控訴人から離婚の調停申立があり同年五月一〇日本件離婚等調停が成立したのであるが、右離婚の原因は性格の不一致と控訴人には他に女性関係があつたためであること、本件離婚当時控訴人所有の資産としては本件不動産(当時課税対象として四五〇万円位に評価されていた)と前記名和町の住宅及び診療所の外に京都市内に時価二〇〇万円位の土地と預貯金として四〇〇万円か五〇〇万円位があつたこと、本件調停の際には慰藉料の外に財産分与も協議内容となつていたことが認められ、右事実に前記乙第一号証によれば本件調停調書には、恭が前記慰藉料の分割支払期間中に再婚したときは婚姻成立の翌月から慰藉料分割請求権は消滅し、恭はその後の支払を請求し得ないこと及び当事者双方は本件離婚に関しては上記条項をもつて一切解決したこととし今後何等の請求をなし得ない旨記載されていることを併せ考えれば、本件離婚等調停においては単に慰藉料のみに限定せず子供の養育費その他離婚に伴う一切の財産上の関係を解決する方法として控訴人は恭に対し現金一四五〇万円と本件不動産等を譲渡することを承諾し、恭もその趣旨でこれを承諾し爾後恭は控訴人に対し一切の財産上の請求をしないことに同意したもので、前示調停条項の「慰藉料」なる文言の表現にかかわらず、右調停条項は離婚に対する慰藉または将来の扶養を目的とする財産分与の性質をも含めた趣旨のものであつたと解するのが相当である。従つて、本件当事者双方が主張するように本件不動産の譲渡をもつて財産分与又は慰藉料のいずれか一方と速断することはできず、結局本件不動産は現金一四五〇万円等と共に慰藉料及び前記性質を有する財産分与として譲渡することを約定し、その履行がなされたものと認めるの外はない(なお成立に争いのない乙第二、第三号証によれば控訴人は本件更正処分に対する所得税の異議申立書及び名古屋国税局長に対する審査請求書において本件不動産の譲渡は慰藉料によるものである旨申立てていることが認められるが、右異議申立書及び審査請求書は控訴人の委任を受けた税理士岩田鉱一が控訴人主張のような理由から作成提出したものであること当審証人岩田鉱一の証言によつて認められるから、右異議申立書及び審査請求書に本件不動産の譲渡が慰藉料によるものである旨記載がなされた事実は前示の認定を覆えすに足りる資料とはなし難い。)。
三、そこで本件課税処分の適否について考察する。
控訴人は、譲渡所得課税の本質は譲渡差益に対する課税であつて、資産の値上り益に対する課税ではない旨主張するが、当裁判所は、譲渡所得に対する課税の本質は資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会にこれを清算して課税する趣旨のものと解すべきであり、売買交換等によりその資産の移転が対価の受入れを伴うときは、右増加益は対価のうちに具体化されるので、これを課税の対象としてとらえたのが旧所得税法第九条第一項八号(現所得税法第三三条)の規定であるとする最高裁昭和四三年一〇月三一日第一小法廷判決(裁判集民事第九二号七九八頁)の見解を正当としてこれに従う。而して右にいう資産の移転が対価の受入れを伴う場合としては売買、交換等現実に対価を受入れる場合の外慰藉料その他債務の履行として或は債務の履行に代えて資産の移転がなされる場合も含むものと解するのを相当と考える。けだし一般に債務の履行として或は債務の履行に代えて自己の有する資産を相手方に移転譲渡した場合にはその譲渡時における当該資産の価額に相当する額の弁済があつたことになり、これによつて当該債務は消滅するのであるから、経済的利益を享受しこれが具体化した点では現実に対価の受入れを伴う場合と実質的に何等変りはないからである。本件についてこれを見るに本件不動産は現金一四五〇万円等と共に恭との離婚に基づく慰藉料及び財産分与として譲渡することを約定しその履行として譲渡されたものであること前に認定したとおりであるから、右のように慰藉料及び財産分与に基づく債務の履行として本件不動産の譲渡がなされた以上、被控訴人が本件不動産の譲渡をもつて所得税法第三三条第一項の譲渡所得に当るものとしたのは相当といわなければならない。従つて本件不動産の譲渡が慰藉料又は財産分与の履行或はその双方の履行と解せられるとしても、何れにせよ所得税法第三三条第一項に所謂譲渡所得ありとしてなされた本件更正処分(本件更正処分の内容となつた譲渡所得の金額の計算についての被控訴人の主張は控訴人において争わないところである)は適法であつて、これを違法であるとする控訴人の主張は理由がない。
四、よつて控訴人の本訴請求を失当として排斥した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 奥村義雄 広瀬友信 大和勇美)
(別紙目録省略)